核情報

2006.4.19

六ヶ所再処理工場と日本の核武装──六ヶ所は非核三原則に違反?

韓国サイバー討論用原稿 2006年3月1日(4月19日一部修正)

 日本の一番大きな島、本州の北端にある青森県六ヶ所村で核兵器の材料になるプルトニウムを生産する核燃料再処理工場の運転が始まろうとしている。六ヶ所再処理工場の運転開始は日本の核武装計画の一環をなすものだろうか。結論から言うと、そのような議論をしている時間的余裕は私たちにはない。現在の計画通り行くと、3月末にも、実際の使用済燃料を使った「アクティブ試験」が始まってしまうからだ。

 もっとも、核武装についての疑念がでてくるのは無理もない。六ヶ所再処理工場は、非核保有国としては初めての商業用規模のもので、年間8トンもプルトニウムを取り出す能力を持つ。長崎型原爆約1000発分に当たる。3月末に予定されている「アクティブ試験」は、試験という名前だが、1年半ほどで、約430トンの使用済み燃料から約4.3トンものプルトニウムを取り出そうというものだ。長崎型原爆500発分以上になる。取り出したプルトニウムを原子力発電所で再利用する方式は、政府自身が経済性が無いと認めている。再処理にお金がかかる上、ウランより放射能の強いプルトニウムは燃料にする加工費が嵩むからだ。それに日本は既に、主として英仏に委託した再処理の結果、国内外に43トン以上ものプルトニウムを保有している。経済的合理性もないのに日本が再処理を進めようとするのは、核武装のたくらみがあるからではないかと思えてしまう。

 しかし、六ヶ所再処理工場の運転開始は、核武装計画の一環だから、これに反対しなければいけないとの議論では、反対の声を広げることができない。計画の有無にこだわっていては、再処理が核武装計画のために進められているとは考えない人々に運転反対の声をあげてもらうことができない。日本では合理性のない計画が進められることが良くある。必要もない道路を造って一部の人々が利益を得る長年の計画はその一つだ。また、日本政府は、日本には核武装計画などないと言えば、運転を正当化できることになる。政府は、核武装のもたらす不利益についても言及できる。まず、現在の国際状況の下では米国が反対する。さらに、核武装すれば、日本はアジアの国々はもちろん国際社会全体から非難を受けて国際的に孤立してしまう。米国の核の傘の下にいた方が無難だと言うのが日本政府の「合理的」判断だろう。そして、日本政府は、「核は持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則を国是としているから核武装はあり得ないと主張するだろう。

 だが、現在の日本に核武装の意図がなくとも、この工場の運転開始を許してはならない。再処理技術の獲得、プルトニウムの獲得は、意図とは関係なく、核兵器製造能力の獲得を意味する。広島の原爆で使われた高濃縮ウランの製造能力につながるウラン濃縮工場の場合も同じである。その意味で、意図は重要ではない。意図は国際状況によって代わりうるからだ。これらの技術を規制しなければならない理由はまさにそこにある。

 昨年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議でも原子力推進と核拡散防止の番人の両方の役目を担う国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長やアナン国連事務総長が、ウラン濃縮と再処理のモラトリアムや規制の強化の必要性を訴えた。アナン国連事務総長は、会議の初日の演説で次のように述べている。

ウラン濃縮と再処理という「燃料サイクルのもっとも機微な部分を何十もの国が開発し、短期間で核兵器を作るテクノロジーを持ってしまえば、核不拡散体制は維持することができなくなる。そして、もちろん、一つの国がそのような道を進めば、他の国も、自分たちも同じことをしなければと考えてしまう。そうなればあらゆるリスク──核事故、核の違法取り引き、テロリストによる使用、そして、国家自体による使用のリスク──が高まることになる。」

 六ヶ所再処理工場の運転が始まれば、二人が唱えている世界的モラトリアムの可能性は消える。現在再処理施設を持っているのは核保有国だけだ。日本は、以前の南アフリカで名誉白人であったように、核クラブの名誉会員になろうとしているようだ。だが、核保有国と日本だけに再処理を認めるという体制は維持のしようがない。元々差別的だと非難されることの多いNPT体制が、二重の差別構造をもったものになってしまうからだ。

 六ヶ所工場の運転を今認めれば、他の国が平和利用の名の下に同様の施設をつくる際にこれに反対することができなくなってしまう。核物質の製造能力を持った国が、将来、NPTを脱退して核武装に向かう可能性がでてくる。また、生産量の1%ぐらいは、つまり年間80kg(核兵器10個分)程度の計量管理の不確実性が避けられないとIAEAが述べている。さらに、統計学的に言うと、その3.3倍の量が無くならないと、確信を持って実際に無くなっていると主張できないとIAEAの保障措置用語集(1987年版)が説明している。六ヶ所再処理工場の運転開始は、第二の核時代──大規模核拡散の時代──への扉を開くことになりかねない。日本が運転無期限延期を発表すれば、世界的モラトリアムに向けた大きな一歩となる。

 ここで非核三原則について見ておこう。日本が非核三原則の法制化をしないのは、核武装の意図があるからだろうとの議論があるが、これには誤解があるようである。「持たない」、「作らない」の2原則については、既に法制化が実現していると考えていい。原子力基本法が核兵器の開発を禁止しており、また、日本は、非核保有国としてNPTに入っているからである。法制化していないのは、「持ち込ませない」の原則である。配備は認めないが、核兵器を搭載した艦船の一時寄港は認めるとの合意が日米にあったことを示す文書が見つかっている。つまり、法制化されていないのは、米国の核の傘に関する部分であって、日本の核武装に関する部分ではない。川口順子外相(当時)の私的諮問機関「外交政策評価パネル」(座長・北岡伸一東大教授)は、2003年9月18日に提出した報告書の中で

「北朝鮮が核兵器開発を本格化したとき、日本を守る抑止力を、どの程度制限するかは大問題。国民の良識を信頼して、実は(一時寄港は認める)2.5原則だったというべきではないか」

と述べている。

 非核三原則は、米国の核の傘とセットになった3プラス1原則だった。これは、佐藤栄作総理大臣が、1967年12月11日の衆議院予算委員会でこの原則を表明した時の発言を見れば分かる。佐藤総理大臣は、核の脅威にどう対処するのかという質問に対して次のように答えている。

「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則・・・のもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、・・・私はジョンソン大統領とこの前一九六五年に会ったときも、また今回会ったときも、日米安全保障条約というものは日本が受けるいかなる攻撃に対しても守ることができるのか、言いかえるならば、核攻撃に対してもこれはやはり役立つのかと、こういうことを実は申しております。ジョンソン大統領は、明らかにあらゆる攻撃から日本を守りますと、かように申しております。」

 核攻撃を含むあらゆる攻撃から日本を守るとの宣言を、核攻撃に核攻撃で反撃することだと解釈し、この宣言が抑止力を持つと考えたわけである。非核三原則と核の傘が同時に提唱されているのである。そして、核の傘を確実なものとするため、三原則の運用においては、「外交政策評価パネル」の表現を借りれば、2.5原則というのが現実だった。つまり、2.5プラス1原則だったのである。

 ゴルバチョフの誘拐事件の後、ブッシュ現大統領の父親が、NATO配備のもの以外は、海外配備をやめ、また、戦略原子力潜水艦以外の艦船への核兵器配備もやめると宣言してから、0.5の問題は、なくなっている。韓国配備の核兵器が撤収され、南北非核化共同宣言が可能になったのもこの父ブッシュの政策のためだ。ただし、将来、米国が方針を変えれば、また、この「持ち込み」が問題になってくる。そして何よりも日本自身が、「抑止」のため、核搭載艦船の寄港の完全禁止までは踏み出したくない。だからこそ、非核三原則の法制化を日本政府は拒んでいる。また、日本の外務省は、化学兵器や生物兵器、さらには、大量の通常兵器による日本への攻撃に対しても米国は核兵器で反撃するオプションを持つべきだとの見解を示している。このように非核三原則は、さまざまな矛盾を抱えている。しかし、その法制化がされていないのが、日本の核武装の意図を示すものであり、その意図の具現化の一つが六ヶ所再処理工場だという議論には飛躍がある。

 最初に述べたとおり、これらの議論に関係なく、六ヶ所再処理工場の3月末のアクティブ試験開始はなんとしても阻止しなければならない。

田窪雅文


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